秋田県横手市選出 県議会議員|小原 正晃 ( おばら まさてる ) ウェブサイト

おばらまさてるです

昭和52年3月 横手市生まれ

サラリーマンの父と看護師の母、祖父、祖母と妹の6人家族。日中は両親が共働きで、夜勤のある仕事だったので、祖母と祖父、そして近所の人達に可愛がって育ててもらった。大人しい家族の中で「何であんなに騒がしい子供が生まれたんだべ?」と言われるほど、とにかく元気な子供だった。(今の方がシャイとも言われる。)

まさてる誕生
幼少期01幼少期02幼少期03
妹と家の中で
妹と家の中で
妹と外で スポ小の野球に入る
妹と外で
スポ小の野球に入る

横手市立境町小学校時代

書道、そろばん、野球、スイミングなど一通り習い事をさせてもらう。少年野球では予告ホームランをしては三振ばかりという、盛り上げ役を担当。 そろばん教室、書道教室でもその通りでおふざけ担当。そのため、学校内外でも友達は多くなる。 自分の耳たぶの事を書いた詩、「みみたぶりん」がコンクールで入賞しラジオで読まれ、家族・親戚がとても喜ぶ。 持ちギャグも何個かあった。それを今になって友人達にやしめられたりもする。小学校も高学年になるとほとんどの写真が筋肉ポーズでしか写っていなく、とても恥ずかしい。

友人と雪の中
友人と雪の中

横手西中学校時代

陸上部に所属。砲丸投げで県南新人戦第2位になる。生徒会図書委員長、応援団長も兼ねた。3年時の演劇発表会では洞雲寺の和尚さん役をやり、主役を務める。柔道着で学校に行ったり、通学ヘルメットを戦国時代の兜風にしたり、今思うと非常によいでない中学生だったと思う。

県立大曲高校時代

今も続く貴重な友人たちと出会う。電車通学とおしゃれなブレザーに憧れ入学したが、いざ着てみると自分に似合わないことに愕然。今までずっと坊主刈りだった反動から、毎日朝シャンをして、天使の輪だけはつけたいというこだわりを持ち、きのこカットに近い頭をしていた。生徒会(体育局長)、演劇部、応援団などに所属。特に3年生の時のクラスでは委員長を務め、流しソーメン大会、学校祭、体育祭など勉学以外に情熱を注ぐ。恩師(後藤悦子先生)や他校の友人などにも出会い、人生の大きな財産となる。

体育祭で体育局長としてラジオ体操を行う
体育祭で体育局長として
ラジオ体操を行う
クラスメートと体育祭の優勝を喜ぶ(旗を持っている)
クラスメートと
体育祭の優勝を喜ぶ
(旗を持っている)

東京造形大学時代

高校卒業後、皆を笑わせて幸せにするチャップリンのような人間になりたいと思い、花の都大東京に向かう。 バイトをしながら芸能プロダクション学校にも所属したが、演劇という枠組みよりも自分の感覚を 表現して周りを幸せにしたいという野望を持つようになり、美術大学に進学を決意。 東京造形大学造形学部美術学科比較造形専攻に入学し、美術史や絵画、彫刻、グラフィックなどを 学ぶ。 2年時までで単位を出来るだけ取り、3年次にはモンゴルなどへの貧乏海外旅行などを行い、 4年時には家を借りずにリックサック一つで東京中あちこち、友達や妹のアパートなどを転々と していた。 1人暮らしやバイト、貧乏旅行などをしていく中で、自分がいかに恵まれて、 幸せであるかを強く感じ、それはみんな家族や回りの人達、地域のおかげだと心から思い、 育ててくれた秋田で働くことを決意し、Uターンする。

モンゴルの宿にて
モンゴルの宿にて
モンゴルの車中
モンゴルの車中
モンゴルの風景1
モンゴルの風景1
モンゴルの風景2
モンゴルの風景2

秋田活版印刷(株)入社

平成13年4月
デザイン職で入社試験を受ける予定だったが、面接で営業向きだと教えて頂き (見た目とおしゃべりな所だと自分では思っている)、営業職で試験を受け、採用となる。 営業の0から1にしていく仕事の楽しさを学ぶ。 入社1年目で高校の同級生である現在の妻と結婚。子供にも恵まれる。

ふるさと村プラネタリウムのムーミン、にょろにょろのコントの1コマ
ふるさと村プラネタリウムのムーミン、にょろにょろのコントの1コマ
秋田ふるさと村 なまはげ座長としての顔も持つ
秋田ふるさと村 なまはげ塾長としての顔も持つ

秋田ふるさと村入社

平成17年4月
横手の実家から毎日秋田市に通っていた中で、横手の実家に生活の基盤を移したいをと考え転職を決意する。 素晴らしい上司や先輩、同僚に恵まれながら、様々なイベントに関わらせて頂く。 協力会社の方々を含め、本当にかわいがって頂き、楽しみながら仕事をすることが出来た。 地域活動やNPOなどにも積極的に参加し、地域の中で仕事をし、地域と共に生きていける素晴らしさや生きがいを改めて感じることが出来た時期。

横手市役所 十文字地域局
道の駅開設準備室

平成18年10月
横手市さんから十文字道の駅の民間運営会社を設立するため、声を掛けて頂く。 新しい事へチャレンジする大きな不安があったが、やりがいを感じ、転職を決意する。 前・増田十文字商工会さん、(現よこて市商工会さん)と一緒に民間会社の設立や、設立後の運営方法など、 ソフト面を主に担当する。半年間というタイムリミットの中で暗中模索の中、株主の募集、 テナントの募集など、幾多の困難を乗り越え、様々な方達の力をお借りし、奇跡的にようやく 会社設立までたどり着く。

イベントでの1コマ
イベントでの1コマ
イベントでは十文字の白鳥君になる
イベントでは十文字の白鳥君になる
いつもマイクで宣伝
いつもマイクで宣伝

道の駅十文字
㈱十文字リーディングカンパニー
入社

平成19年 3月
道の駅十文字の運営会社、株式会社十文字リーディングカンパニーに入社。
代表取締役の小川健吉社長に師事し、地域との関わりや“感謝”の気持ち、自分が先頭を切って道を切り開くこと、スピードを持って仕事をすることを叩き込まれる。
当初は「ここでは黒字にすることは難しいだろう」と周囲から揶揄されることもあったが、地域住民や株主、直売会員や行政、店内すべてのスタッフと、多くの“思いを持ってくれる人達”と一緒にゼロから作り上げ、秋田県一、東北でも屈指の直売施設にすることに携われた事が誇り。
現場のリーダーを担当。トイレ清掃から営業企画、イベント企画、販売業務など「自分達でやれそうな所はすべて行なう事」をモットーとし、仕事に励む。

ここでは「人の思いでどんなことでも成せばなる」ということを学び、実感し、それをもっと横手全体に、秋田全体に広げていきたいとフツフツと考えるようになった。

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